スケジュール通り実行することの難しさ

Googleカレンダーに自分の理想のスケジュールを書き込んだ。

そして Toggl Track を使って、実際にどんなを行動を行なっていたかを記録することにした。

toggl.com

これは読書猿著『独学大全』に載っていた 技法6. 行動記録表 の実践に他ならない。

これを1週間続けると、理想と現実(予定と実績)の差が如実に現れる。

 

 Toggl Trackerの画面スクショ

上記の画像はToggl Trackの画面であり、Googleカレンダーからインポートしたスケジュールと Toggl Track で記録した自分の行動実績の両方を確認できるのである。

私の場合、平日は日中の大半が仕事をすることになるため比較的予定通りにスケジュールをこなすことができているが、休日になると途端に腑抜けになってしまう。

気持ちとしては土日にはもっと動画視聴などの時間を減らして、運動や勉強の時間を増やしたいところではあるが、これまで続けてきた自堕落な生活習慣が身体に染み付いてしまっているようだ。

これは自分の不甲斐なさをデータとしてまざまざと見せつけられるため非常に落ち込むが、焦って対処療法のように無理やりスケジュールに自分の行動をあわせようと気張るのはさらなる自己嫌悪を引き起こすことは目に見えているため、長期的な取り組みと捉えるべきだろう。

スケジュールの作成と行動実績の記録を習慣化することで少しづつ理想と現実のギャップを埋めていくのだ。

また上記では、自らの実行力のなさを嘆いたが、計画性の無さというものもこの習慣によって見出すことが可能だ。

実は私は最初に作成した理想のスケジュールを何度も修正している。例えば朝起きてすぐに運動することを習慣化しようとしていたが、どうしても今の自分には無理で辛かったのですぐに消したり、昼食の時間を朝食、夕食の時間を考慮して調整したりなどである。

つまり、あまりにも現実とかけ離れたスケジュールを作ってしまっていると気づいた時には、理想を妥協するのだ。これは実績にスケジュールを合わせてしまうということではない。

ゴールまでの道のりが長く険しいからこそ、理想のスケジュールまでのマイルストーンを決め、少しずつ今の行動を理想に近づけていこうということである。

個人的にはこれを始めてからというもの以下に挙げるようなメリットがあったので気長に続けていこうと思う。

  • 会社仕事で義務化されている工数実績の入力や日報の提出などが楽になった
  • 夜遅くまでダラダラ働く癖がなくなった
  • 休日にもスケジュールがあるとそれが行動指針になる時がある(今日は人と会う予定ないし勉強の予定がカレンダーに入っているからとりあえず椅子に座るかぁ、みたいな感じ)
  • ずっとNetflixとかを見てると焦るようになる

はてなブログたまたま開いた時に突発的に書きたくなったので今これを書いているが、スケジュールにはブログを書く予定は入っていない。

やはり理想のスケジュールも所詮未熟な自分が作ったものであり、完璧なものではないのだ。

 

自己表現と学習の記録

はじめまして、aobaと申します。

この記事が本ブログの初投稿です。

私はいままで何度もブログを始めては抹消する、ということを繰り返してきたのでこのブログもいつかなくなってしまうかもしれませんが、今のところはずっと続けて行きたいと思っています。

というのも、今回に関してはこのブログを人に見せるためではなく、専ら自分のために利用しようという腹づもりだからです。

ここに訪れた人は、私が勝手に学習の記録をつけたり思ったことを整理するために書いたりしたことを、盗み見ているだけなのです。

もちろん皆さんに迷惑にならなければ幸いですが、しかしやはりこのブログはまず第一に私のためのものなのです。

皆さんはきっと「お前はこんな前置きを書くくらいだから過去に炎上でもしたのだろう」と勝手な想像を膨らませているのでしょうが、決してそういうわけではありません。

過去にブログを抹消したのも、インターネット上に自らの拙文を撒き散らすことに耐えきれなくなったためであり、つまり私のメンタルが弱かったためです。

しかし、よくよく考えてみると現代のインターネットには糞みたいな記事は溢れかえっているわけで、そう考えると私がブログに何かを書いたところでこの世界の糞の総量がほんの増えるだけでさして人の迷惑になるようなことはほとんどないし、むしろ糞をするのが人間としては正常な気さえするのです。

なにより、学習や文章力はアウトプットが重要であり、それが人に見られるかもしれないということが大切なのです。今は糞みたいなものしかひり出せないかもしれませんが、続けていくことで糞の中ではいい部類に入ったり、糞とは別のものが出ることだってあるかもしれません。

つまり、そういうことなのです。